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僕たちはどう生きるか~非日常だったあの頃を振り返る~

更新日:2021年5月10日






<連載企画!僕たちはどう生きるか>


2021年5月15日、23日でタテマエで現地ツアーを開催します!それに伴い、ツアーまでの間、「僕たちはどう生きるか」というテーマで、全メンバーによるブログリレーを行います。コロナから約1年半が経ち、未だに収束が見えない2021年。メンバーそれぞれに今の思いを語ってもらいます!ぜひ最後までご覧ください!






「君たちはどう生きるか」 


2018年、「君たちはどう生きるか」という漫画が話題となった。この本は1937年に発行された吉野源三郎の著作をリメイクしたもの。原作は戦後、当時の若者たちに大きな影響を与え、今でも多くの人に読まれ続けている。




東京オリンピックが開催される予定だった2020年。突如として新型コロナウイルス(以下、COVID-19)が発生した。オリンピックは中止となり、世界各地のあらゆる人が、COVID-19の影響を受けることとなった。「地域研究ユニットタテマエ」も例外ではなく、その活動は強く制限され、不完全燃焼な1年間となった。




COVID-19が発生してから約1年と半年が経過した現在も、依然として感染者は多く、収束の目途は立っていない。先行きの見えない不安に包まれている現在。タテマエのメンバーは、この1年間に何を感じたのか、これからについてどう思っているのか、いまの大学生に何を伝えたいのか。



タテマエである大学生、大学院生、研究者、建築家、コーディネーターそれぞれのメンバーが、コロナ禍の中で改めて考えたこと。



テーマを「僕たちはどう生きるか」と題し、今思っていることを自由に書く。











僕たちはどう生きるか~非日常だったあの頃を振り返る~

<自己紹介>

よこ

高知大学農林海洋科学部卒。兵庫県 大学院。

学部時代に地域、そして鳥獣被害対策に興味を持つ。兵庫県の大学院に進むも、コロナ等が原因で休学を決意。高知県で鳥獣被害対策の研究・実践に取り組む。




2020年1月。武漢でCOVID-19が拡大し続けているというニュースを、僕は遠い国で起きた内戦の話しのように聞いていた。


その時、僕は卒業論文を書き終えたところで、巨大なタスクをやり遂げたという解放感と、目的を失ったことによる脱力間の中にいた。お世話になった人に挨拶にいったり、引っ越しの準備をしている中、大学から卒業式が中止になったという連絡を受けた。予想はしていたものの、やっぱり残念だなという気持ちになった。



高知を離れる少し前、友達と焼き肉を食べに行った。ちょうど武漢でロックダウンが行われている時だった。お店を出てからもずっと話していたのだが、別れる間際にコロナの話になった。


「日本も武漢みたいになったらどうする?」


―ロックダウン。そんなことがもし日本で起きたら、どうなるのか。


正直そうなった想像が全くできず「なったらやばいよなあ」と曖昧な答えをした。空想上の話をしているような感じだった。



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春になり、僕は大学院生となり新天地へと移った。高知ではずっと一人暮らしだったが、今回はシェアハウスに住むことにした。それを選んだのに特に深い理由はなかった。そこなら家賃が抑えられるし、大学院生の生活は、日々話す人が研究関係に偏りそうなので、シェアハウスで色んな人と交流するのが魅力的に感じたのだ。



そのシェアハウスは、江戸自体からあるという古民家で、いくつかの和室と広い庭があった。年齢も職業も経歴も違う4人が住んでいた。今までの人生であまり出会ったことのない人たちばかりで、自分が普通だと思っていたことが実は普通ではなかったことに気が付いて衝撃を受けた。



 大学院のオリエンテーションが終わり、これから本格的に授業や研究が始まるという頃、僕の住んでいた県で、緊急事態宣言が発令された。大学院の研究室に行くことはできなくなり、ほとんどの飲食店や公共施設は閉まった。必然的に自宅で長い時間を過ごすことになり、それに伴いシェアメイトの生活に触れることとなった。



 シェアメイトの一人は、元々オンライン上でたくさんの仕事をこなしており、コロナ禍になって、その傾向は加速していた。文字通り、朝から晩までオンライン会議をしており、ご飯も会議に出ながら食べていた。買い物に行く以外ほとんど家から出ていなかったような気がする。移動する時間が無くなる分、コロナ以前より多くの仕事をすることができるようになったが、その分疲れると言っていた。一人は、オンラインで子供に勉強を教える「オンライン家庭教師」なるものをしていた。僕の想像していた仕事の形とはかけ離れていて、目から鱗の思いだった。



5人が同じ家の中にいるのに、それぞれがオンラインで違うコミュニティで話している時もあって、不思議な感じがした。コロナによる変化を身近で感じ取ることができ、新鮮な気持ちになったことを覚えている。




僕自身は、朝は論文や本を読み、集中力が切れたら朝ごはんを食べたり洗濯をし、また机に向かうというような生活だった。

僕はずっと同じ場所で勉強をするのが苦手で、学部時代は集中力が切れたら場所替え―具体的には、図書館、研究室、カフェをローテーションしていたのだが、どこも閉まってしまい、それは不可能になった。この時期は新しい環境にまだ順応していなかったこともあり、キツかったことを覚えている。



大学院の授業もオンラインとなった。家から一歩を出なく手も生活が完結するようになり、最初は、わざわざ学校に行かなくてもいいこと、隙間時間が無くなることで、効率が良くなるなとくらいに思っていたが、段々とオンライン化で失ったものが見えてきた。


分かったのは、今まで「無駄」だと思っていたことは、実は「無駄ではなかった」ということだった。



オンライン化するまで「ふつう」にあった瞬間。例えば、



家を出た瞬間に感じる、外の匂い。


学校に行く時までの考えごと。


教室から教室に移動する際の、友達とのちょっとした雑談。


授業でプリントが配られるのを待つ時間。その時に目に入る気になる子の姿。


食堂に歩いていく時に目に入る掲示板のポスター、耳に入る他の人の会話。


図書館で調べもの途中に、偶然発見した面白そうな本


図書館の入り口でばったり会った友達との、とりとめにない話


帰り際に感じた風と、風が運んでくる新緑の香り






そういった、偶然の出会いと発見、 些細で、かつ愛しい瞬間は、オンライン化によって多くが失われてしまった気がした。


失ってみてはじめて、「無駄」の中に隠れていた「大切なこと」(もちろん、全てが大切なことだとは言わないけれど)に気付いたのだった。


そうして僕は、季節を感じることのできないまま4月を過ごした。




新天地なので、周りに知り合いもおらず、知り合いを作る機会も限られていることを不満に感じた。コロナによる自粛は、人との繋がりを断ち切ると言われるが、身をもってそれを感じた。


ただ幸運なことにシェアハウスだったので、人との繋がりが完全に途絶えることはなかった。話せる人がそばにいるし、みんなそれぞれオンライン会議で中々時間が合わなかったのだが、都合がついたときは一緒に夜ごはんを食べた。みんな色んな経験をしてきており、そういう話を聞くのはとても好きだった。一人暮らしでなくて良かったと思うことは多々あった。


 ある時、シェアメイトの一人が面白いことを言っていた。




「コロナのせいで、多くの物事がオンラインになり、今までオフラインが当たり前だった

 ことが、実はオンラインでの代替が可能だということが分かった。そして逆に何が

 オフラインでなくてはならないのかが、それが浮き彫りになった」




仕事に行く、授業に出る、雑談をする、遊びに行く、飲み会をする、、そんな当たり前のことが実はオンラインで代替できることが分かってしまった今、逆にオフラインで行わなければならない意味が問われるようになったというのだ。


僕はそれを聞いて「確かにな」と思う反面、多くのことがオンラインに置き換わって世界を想像して、少し寂しい気持ちになった。

僕にとっては今は「非日常」であり、一刻も早く元の生活様式に戻って欲しいと思うばかりだった。確かに効率は良くなったかも知れないが、なんだか一日一日が平坦で、景色の変わらない道を歩かされているような気持ちだったのだ。





5月になっても、感染者数は増加の一途を辿り、制限された生活が続いた。GWに入る直前、僕は実家に帰ることにした。それは、この環境下で今ここにいる理由がないと思ったのと、実家のご飯が食べたいと思ったのだ。先生やシェアメイトにしばらく実家に帰ることを伝え、地元へと帰った。



 実家にいる間は、できるだけ規則正しい生活をすることを心掛けた。朝決まった時間に起きてカーテンを開けて日光を浴び、今日のタスクを確認した。実家は新聞を取っているので、新聞を読むようになったが、1面は大抵コロナの記事で、そこは次第に読み飛ばすようになった。


家事にかかる時間が減ったので勉強の時間が増えた。しかし、たまに全くやる気が出ない日もあって、そういう日は近くの海に釣りに行った。家から出る時といえば釣りと買い物くらいで、窓から新緑を眺めながら今がちょうど良い気候なのに、と惜しい気持ちになった。


実家にいる当初は順調だと思ったいたが、後半何故か上手く眠れなくなり、悶々とすることも多かった。それがコロナの影響なのかどうなのか分からなかったが、コロナのせいにしておくことにした。少しずつ感染者減が減ったこともあり、5月の中旬ごろ、兵庫に戻ることにした。





 シェアハウスに戻り、またいつもの生活が始まった。授業は相変わらずオンラインだったが、研究室には行けるようになり、また研究のフィールドである集落にも条件付きでだが行けるようになった。お店も少しずつ開き始めた。家の近くにコメダ珈琲があって、そこはいち早く営業が開始されたので良く訪れていた。以前はガラガラだったスーパーも人が多くなり、少しずつコロナ以前に戻っているようだった。


確かに、状況は改善しているという実感があった。





その頃、僕は取り組んでいること、すなわち「研究」ということに対して、少し違和感を持つようになっていた。自分が取り組んでいる研究テーマの内容に疑問を感じるようになったのだ。



端的に言うと、この時期僕は、自分の中で研究することの意義を見出だすことが難しくなっていた。


それには二つ原因があって、一つは、研究することにやりがいを感じられなくなってしまったこと。僕の研究のテーマは「地域での獣害対策」で、集落で聞き取りやアンケート調査を行う予定だった。だが研究テーマを詰めていく中で、自分の研究は机上の空論を扱っていて「研究のための研究」ではないかと思うようになった。時間をかけて調べても地域に貢献することはできないのではないかと思い、その結果「何のためにやっているのだろう」と、研究にやりがいを感じられなくなってしまった。


もう一つは、研究に興味を持つことができなくなったこと。卒論に取り組んでいる時も大変ではあったが、根本には「知りたい」という好奇心がありワクワクする気持ちに動かされていた。しかし大学院に入ってから、研究することに対して好奇心ではなく義務感を感じるようになった。



今振り返れば、たかが大学院の2年間で現場に貢献できるような研究をするのは不可能なことで、気負い過ぎていたと思う。意義がある研究をしなくてはならないと思いこんでいたせいで義務感に縛られたのかも知れない。

上で述べた「自分は何のために研究をするのだろう」という悩みが、研究生活自体に対する疑問、すなわち「このまま大学院で2年間過ごしていいのか」という疑問へと膨らんだ。





研究生活への違和感はあったが、その他の面は意外と充実していた。ずっとやりたかった、塾でのアルバイトを始めた。子どもに勉強を教える中で、コロナ禍で制限された生徒の話を聞き、色々なイベントが中止になってしまった彼らは一段と辛いなと思った。


シェアハウスでは、庭に畑をつくり、野菜を植えた。農学部時代の実習で得た経験も無駄にはならないんだなと思った(当時は嫌だったが)。


タテマエに出会ったのも確かこの頃だ。





7月。梅雨に入り、僕の住んでいた町は雨が長時間シトシトと降り続けた。

コロナは相変わらず収束の目途が立たず、非日常の日々は続いた。生活が制限されることに加え、研究上の悩みもあって僕は休学を検討していた。そしてちょうど、以前からやりたかった仕事の採用募集がかかったこともあって、僕は休学してその仕事に就くことを決断した。その時期は目が回るような忙しさだった。状況の変化に自分が付いていけず、自分がどこにいるのか分からなくなる時もあった、何はともあれ、休学の手続きを終え、シェアハウスのメンバーと大学院関係の人たちに挨拶をし、その地を離れた。





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そして僕は去年の夏に再び高知に戻ってきて、仕事をすることになった。上に書いたこと、その記憶が僕にとっての「コロナ禍」であり、また「2020年前期」であって、恐らく将来コロナのことを思い出した時は、この記憶が蘇るのだと思う。




本当は仕事を始めて思ったことなども書きたいのだが、長くなるので今回は省略し、いま思っていることを書いて締めくくりたい。




悶々と過ごした去年のGWから一年が経った今。生活はとても充実していると感じる。仕事も慣れて、ひと通りのことはできるという自信もつき、大変なこともあるが、楽しいと感じることも多い。



コロナは全く収まる気配はないが、大人数の会がダメなことも、仕切りだらけの室内の光景にも慣れてきた。コロナ禍の生活様式に順応してきたのだろう。コロナは、人との繋がりを断ち切ると言われるが、時間はかかったが新しい知り合いもでき、地域の人とも仲良くなって、孤独を感じることもなくなった。

休日、暇な時は山に登っている(山登りはコロナ禍での最高の趣味だ)。

確かに、飲み会をできないのは寂しいのだが、感染者が少なくなった頃を見計らって、飲みに行くというある意味での「コツ」というか「狡猾さ」を会得し、息抜きもできるようになった(褒められたことではないが)。



今年のGWは、自分の実感では今までの中でもかなり充実した方だと感じた。とは言っても、色んな場所に遊びに行ったわけではなくて。

家族でお墓参りをした後、回転ずしに行き(お寿司が流れなくなっていたのは驚いた)、夜はzoomの会に出た。用事がない時は、友達とランニングしたり、本を読んだり。ソーシャルディスタンスが保てそうということで、一度天狗高原に遊びに行った。


コロナ以前に比べたらとても穏やかなGWであったことには間違いないのだが、それでも充実していたように感じた。多分それは、心も体もこの生活様式に順応したからだと思う。




僕の中で、いつも間にか「非日常」が「日常」に変わっていたのだと思う。




まだコロナ発生から1年弱だが、コロナ以前のことは遥か昔に感じるようになった。マスクを付けなくても良かった時のことなど、もはや少し忘れかけている。




だから逆に、時々思うことがある。



それは、もし明日、いきなりコロナの感染者が一人も居なくなって、完全にコロナ以前の生活を送ることが可能になったら自分はどうするだろうかということだ。



ガラッとやることが変わるだろうか。それともほとんど変わらないだろうか。



正直、上手く想像できないというのが本音だ。








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タテマエツアー


〇日時

5月15日(土)及び5月23日(日)


9時 高知大学朝倉キャンパス総合研究棟前集合


15時 大学帰着 解散


〇内容

・神谷地区の魅力をめぐるたび

・(可能であれば)地域の方ともお話し

・タテマエの活動についての説明など


〇申し込み方法

タテマエのホームページのCONTACTまたはタテマエの各SNSアカウントのダイレクトメッセージからお願いします!

参加希望日・氏名・所属(大学・学部など)を明記してくださいね🌟



詳しくはこちらをご覧ください!!

https://tatemaeinfo.wixsite.com/tatemae-hp/post/%E3%80%90%E3%82%BF%E3%83%86%E3%83%9E%E3%82%A8%E5%88%9D%E3%81%AE%E7%8F%BE%E5%9C%B0%E3%83%84%E3%82%A2%E3%83%BC%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%80%91%E3%82%AC%E3%83%81%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%81%93%E3%81%86%EF%BC%81%E8%A1%8C%E3%81%8F%E3%81%8B%E8%A1%8C%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%AF%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E6%AC%A1%E7%AC%AC-%E3%80%82

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