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僕たちはどう生きるか ~鴨長明『方丈記』より学ぶ~

更新日:2021年5月24日

コバです!


タテマエのおちゃらけ担当と言われることが多いのですが、そんなお前にこんな真面目なタイトルのブログ書けるの? と思ったそこの方、大正解です。


文才もないし、正直よこさんや野田さんのようなロジカルで為になる文章なんて書ける気さらさらないのですが…


それでも何とか「僕たちはどう生きるか」という壮大な問いに対して自分なりに考えたことを書き綴っていこうと思います。

きっと私のことなので、支離滅裂な文章になってしまうかもしれませんが、お許しくださいね。

 

<自己紹介>

小林 瑞希(こばやし みずき)

ニックネーム:コバ

高知大学地域協働学部4年。

静岡県静岡市出身。

趣味は大学生から始めたキャンプ。キャンプが好きすぎるあまり、キャンプインストラクター資格を取得。大学では、中山間地域の防災について勉強しており、現在、アウトドアを通じて楽しく防災を学べる取り組みについて調査中!

タテマエでは、たてのまと防災を主に担当。

座右の銘は「深い川は静かに流れる」

 




僕たちはどう生きるか

―鴨長明『方丈記』より学ぶ―

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。 世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。



これは、鴨長明の『方丈記』のあまりにも有名な冒頭の一節です。

幼い頃より、小説を読むのが大好きだった私は、国語の授業が好きでした。

しかし、高校に入り、難解な古典の勉強が始まった途端、それまで好きだった文章を読むということが面倒だと感じるようになりました。


る・らる・す・さす・しむ?!?!?!

受身・尊敬・自発・可能?!?!?!

あり・おり・はべり・いまそかり?!?!?!


まるで呪文のような文法や単語は私の脳のスペックではとても理解しきれないものでした。

そんなわけで、いつも古典の授業の時間は憂鬱でした。


そんなとき、「今日から日本三大随筆のうちの一つである『方丈記』を勉強していきます」という先生の一言。


大嫌いな古典… 

しかも難しい随筆…


しかし・・・

憂鬱な気分で方丈記を読み始めた私でしたが、その初めの一句を読んた瞬間、その文章の美しさと儚さに圧倒され、それ以降私の人生のバイブルとなります。


さて、先ほどの方丈記の冒頭の文章ですが、この文章を教室で先生が読み上げた時、

「なんだこの流れるようなきれいな文章は!無駄が一切ない。そしてどこか儚さもある…。声に出して読みたいっ!」

と思いました。


みなさん、先ほどの文章、声に出して読んでみてください。


古典を学んでいなくても、すらすらと読める、何度も何度も読み返したくなるほど美しい文章ですよね?

作家の中野孝次先生が、『すらすら読める方丈記』という本で、方丈記を解説しているのですが、本の中で中野孝次先生は、


おそらく鴨長明はこの冒頭の一節を書き上げた時、方丈記は成り立ったと確信しただろう


と述べています。


全くの同意見です。


ちなみに、この冒頭の一説、現代語訳するとこのようになります。


河を見ていると、水は流れ流れて絶え間がないが、それはむろん同じ水ではなく、常に新しい水が流れているのだ。

河のよどみに浮かぶ泡もまた、出来ては消え、消えては新しく生れ、同じ泡が久しくとどまっているためしはない。

この世に在る人間とその住居も、思えばこれと似たようなものか。


鴨長明は30歳を過ぎたころから20年間ほど、京都の鴨川のほとりに住んでいました。

この一句は、折に触れては鴨川の水の流れやそこにうつる人々を観察する中で得られたものでしょう。


この世に存在するどのようなものも、一見、同一恒常に見えても内実は常に変化しており、ひと時たりとも同じであるときはない。


いわゆる 無常 です。


鴨長明が方丈記を綴ったのは、はるか昔鎌倉時代のことですが、この万物の流転については、目まぐるしく変化する現代社会においても同じであると思います。


2020年、新型コロナウイルスの感染拡大によって、世の中は大きく揺れ動きました。

現在もコロナウイルスに翻弄され、先の見えない不安と戦う毎日です。


思えば我々タテマエもコロナウイルスによって、一切の地域での活動ができなくなり、大好きな神谷のみなさまともお会いできない日々が続きました。


方丈記が書かれた鎌倉時代も、ちょうど同じような状況にありました。


方丈記では、鴨長明が体験したこの時代の厄災が記録されています。


まず、都の3分の1が焼け野原となった安元の大火。

治承4年の辻風。(竜巻)

世の混乱を招いた福原遷都。

4万人以上の死者を出した養和の大飢饉。

そして、元暦の大地震。


一度きりの人生で、これだけの厄災に見舞われるとは、なんとまあ不運なことかと思いますが、こうした多くの悲しい出来事を通して、鴨長明はより一層、世の中の無常を実感し、そこから人間存在の根源への問いを発するのです。


鴨長明のみならず、この時代に生きた人々は皆、度重なる厄災に見舞われ、大切な人や家を失い、明日の我が身もわからぬまま生きる中で、人間の無力さを感じたことでしょう。

現代を生きる我々も、いつ終わるかわからないコロナウイルスに不安を抱き、明日来るやもしれぬ大地震に恐れながら生きています。


人間はそうした厄災や生老病死からどうにかして逃れたいと願いますが、同時にそれは不可能だと理解し、日々生活しています。


しかし、それをどうやったら逃れて安心を手に入れることができるかというのが、方丈記の中で鴨長明が問い続けているテーマです。


鴨長明は、人生とは何か、生きているとはどういうことかという答えのない問に答えを出さなければ、人間は安心を手に入れることはできないと言っています。


でも、考えてみてください。

仏教においても永遠のテーマである、人生とは何か、なんて考えてもわかるはずないんですよ。

だから、このブログのテーマである「どう生きるか」なんてのも簡単に答えが出る問いではありません。


それがわからないから、毎日毎日、将来のことや恋愛のことで悩んだり、周りの評価を気にして自分自身を出し切れなかったり、やけくそになって飲みつぶれたり…。悩んで、もがいて、その時その時の自分なりの最適解を見つけながら必死に生きているわけです。


そんな中、鴨長明は自分の権能にあるのは自分自身の心だけだと気付きます。

妻や子ども、あるいは部下や召使も自分のものにはなりません。

地位や名誉や財産も、望んでも手に入らないことだってあります。

そんな自分の思うようにならないものに望みをかけ、一喜一憂していては、本当の安心を得ることはできないと考えるのです。


そして、それならばいっそ俗世間を離れ、自分の身と心が赴くままに好きに生きてやろうじゃないか。

それが自分にとって最も安心で好きな生き方だ。


そうして鴨長明は、ひとり、山の中に、たった方丈(だいたい4畳半くらい)の晩年の住処を建て、そこで暮らすことを決意します。


(その方丈のおうちでひとり書き上げたから『方丈記』ってわけです)


新型コロナウイルスが流行し始めてから、おうち時間という言葉が頻繁に使われるようになりました。


鴨長明は、度重なる厄災を経験し、そんな無常の世を生きる人々を観察しながら、「おうち時間」を楽しむことにしたのでした。


さて、ブログのはじめに、方丈記の冒頭を紹介しましたが、方丈記の最後の方になると、鴨長明が晩年を方丈の住まいで過ごす中で見つけた自分の生き方について書かれています。


それ、三界は、ただ心一つなり。

心、もし安からずば、象馬(ぞうめ)・七珍(しっちん)もよしなく、宮殿(くでん)・樓閣(ろうかく)も望みなし。

今、さびしきすまひ、一間の庵(いおり)、みづからこれを愛す。


(現代語訳)

さて、仏の教えに、三界はただ心一つなり、とある。この世界は心の持ちよう一つで決まるのである。心がもし安からにならないならば、象馬とか七珍といわれる財宝があっても何にもならず、宮殿や樓閣も望むところではない。

今、わたしは閑寂な住居、一間の廬に住んで、心からこれを愛している。


中野孝次先生の言葉をお借りしますが、


この世界はまさに心の持ちよう一つで、同じ事態が幸せのたねともなるし、不幸のたねともなる。


と。


故事成語の、人間万事塞翁が馬、とも少し似ているような気がします。


そして、この一文を読むと、私はいつも心が“ほわっ”となるのです。


俗世間であくせく働き、日々悩み、少しの出来事に一喜一憂する人々とは離れ、自分のやりたいことをやりたいときにやり、そしてそれをひとりでとても楽しんでいる。そんな鴨長明の姿がふと頭に浮かぶのです。


方丈記の最後には、ようやく自分自身のライフスタイルを確立させた鴨長明が、今度はその自分の生き方に自問自答をし始めます。


そもそも、一期の月影傾きて、余算の山の端に近し。

たちまち三途の闇に向はんとす。

何の業をかかこたんとする。

仏の教へ給ふおもむきは、事にふれて、執心なかれとなり。今、草庵を愛するも、とがとす。閑寂に着(じゃく)するも、障りなるべし。

いかが、要(よう)なき楽しみを述べて、あたら時を過ぐさん。


(現代語訳)

さてわが身を顧みるに、私の生涯もいますぐにでもあの月が山の端に沈もうとするときのように終わりに近く、余命も少なくなってきた。

死者が行くという三途の闇に向かおうとしている身だ。

その私がなんでこの期に及んで生涯になしたことをあれこれ弁じようとしているのか。

仏の教え給うところを聞けば、大事なのは、何事であれ、事に触れて「執着心を持つな」という事である。

それならば、わたしがいま、草案を愛するのも、閑寂に執着するのも、これもやはり執着の一種であって、往生の障りとなるのであろうか。

だったらどうして役にも立たぬ楽しみをぐだぐだと述べ立てて、残った大事な時をむなしく過ごすのか。


中野孝次先生は、この最終章を「ふてくされたような、謎めいた言葉」だと解説しています。


せっかく、


自分の人生好きなことをしてやりたいように生きよ。

執着心は捨てろ。

全ては心の持ちようだ。


と、格好いい言葉を残して終わるのかと思ったら、今度は、自分のやりたいことを思う存分できるようになった楽しい日々にこそ執着心を持ってしまっているのではないかと言い出したのです。


中野孝次先生は、「長明がここにきて居直って、これで悪いか、どうだ」と言っているように感じると言っています。


私は、これを読んで、

「なんだ、結局鴨長明にも、正しい人生の生き方なんて見つけきれなかったんだ」

となんだか安心しました。


結局、どう生きるべきか、なんてのは誰にもわからないし、わからないから不安や悩みが尽きないのです。

よくいう言葉ですが、なるようになるんですよね。


でもやっぱり、方丈記に書かれた鴨長明のライフスタイルは参考になるところや憧れるところがあって…。


どんなにひどい厄災にあっても、あきらめるのではなく、その不幸な運命を悟ったうえで、執着を捨てよと言っているんです。

そして、世間の目や名誉や地位よりも、何よりも自分自身が楽しいと思うことを追求せよと。


方丈記を読んで、私は鴨長明がそう伝えてくれたような気がしています。


新型コロナウイルスの感染拡大をはじめ、様々な問題・課題が蔓延るこの現代社会は、制約だらけで窮屈な感じすらします。

他者からの評価を気にしたり、見栄を張ったり、あるいは不安や恐怖におびえて生きることを楽しめない時があるような気もします。


私もそうです。

いつの時代の人もそうだったと思います。


だって人間だし。


でも、そんな時でも、私は、「楽しむ心」を絶対に持ち続けています。

そして、そんな楽しんでいる時の自分が一番好きです。


先日、タテマエメンバーのベルちゃんと話している時に、「自分はこうありたい」と思ったことがあります。


それは、「ワクワクを追求する」ことです。


そして、自分の中で生まれたワクワクをカタチにできるのが、この地域研究ユニットタテマエだと思います。


タテマエのメンバーや地域の方とお話していると、心がワクワクしてやりたいことが無限に頭に浮かびます。


本当は、そのやりたいことも書きたいのですが長くなってしまったので今日はここまでで…。


本当に支離滅裂で、ただの方丈記の紹介になってしまっているようで、お恥ずかしい限りですが、最後まで御目通しいただきありがとうございました。


〈参考文献〉

中野孝次(2012)『すらすら読める方丈記』講談社


ということでー、みんなっ!!!

私たちと一緒にワクワクしよう!!!

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


 

タテマエツアー

〇日時


5月23日(日)

9時 高知大学朝倉キャンパス総合研究棟前集合

15時 大学帰着 解散

〇内容

・神谷地区の魅力をめぐるたび

・(可能であれば)地域の方ともお話し

・タテマエの活動についての説明など

〇申し込み方法

タテマエのホームページのCONTACTまたはタテマエの各SNSアカウントのダイレクトメッセージからお願いします!

参加希望日・氏名・所属(大学・学部など)を明記してくださいね🌟


皆様のご参加、お待ちしております!

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