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タテマエのテマエ(2)石積みからの手紙

タテマエ広報の武澤です。

お久しぶりのブログリレーです😄

本日は事務局の野田さんより投稿していただきます!



 


お久しぶりです。タテマエ主宰の野田です。

今回は僕の好きな「石積みの風景」についてお話したいと思います。

タテマエが活動している神谷北地区は石積みの集落群です。

石積みの風景は、標高500m以上の山奥に位置するこの地域の、

象徴のひとつであると言えるでしょう。





先月のタテマエウェビナーvol.01「人と山と」では尺の都合もあり、

あまり触れることができませんでしたが、

率直に言って、僕は石積みの風景が好きです。

それは単純に、美しいから、僕の原風景に近いから、という、

率直な理由もあるのですが、

何か、プランナーとしての人格の根元に迫ってくるような、

強烈なメッセージを感じてやまない、というのがもう一つの理由です。

今回は、その辺りの話について触れてみようと思います。


ゼロベースかつボトムアップでつくられた、水平面となりわい


石積みの風景が映える地域の多くは、

山の急側面にしがみついたような集落が多いですね。

皆さんが見たことのある石積みも、そんな場所が多いのではと思います。

数百年、或いは1000年以上も前に、風光明媚なこの地に移り住んだ人々は、

急峻な地形に手作業で石を積み上げて、

大変な苦労の末に、家や農地を作る為の「水平面」を築き上げました。

正真正銘のゼロベースで、生業を形作った訳です。

そこには社会本能とも言うべき、切実さがあります。



これは別の集落の写真ですが、

人力では運べなかった巨石が、孤島のように残されています。

人の手だけで石を積み上げたことを示す、文字通りの動かぬ証拠ですね。

集落の石積みは、

城郭の石垣のように、時の権力者が「作らせた」ものではありません。

今で言うところのボトムアップによって、一つひとつ石が積み上げられていきました。

本当に、頭が下がる思いがします。


マテリアルとの向き合い方と、物理法則とのせめぎ合い


神谷北地区の石積みの多くは、

「空石積み(からいしづみ)」といって、

モルタルを全く使わずに形成されています。



石の調達手段や場所は地域によって様々ですが、

ある程度の大きさまで破砕した石を見比べて、

かたちを見たり、重心を見極めたりして、

試行錯誤しながら積み上げていったことは想像に難くありません。

極論すれば、石を積む際のルールはただ一つ「重力に耐え切ること」です。

そんな唯一無二の約束を守る為に、石の積み方や道具の使い方にも様々な方法があります。

逆説的に言えば、石積みの風景は重力1Gのビジュアル化でもある訳です。

物質との向き合い方と、重力とのせめぎ合いの軌跡。

白々しさすら感じる程に、それらが如実に表れた姿こそが、

石積みの風景なのです。



かつて確かに、その石を積んだ人間がいた証


各地で石積みの風景と出会う度に、僕が連想するのが「書道」です。

石積みには及びませんが、僕は書道も好きです。

数ある芸術の中でも、書道を殊更気に入っている理由は、

造形の過程が明確に分かる点です。

筆の動作はもとより、墨のかすれ具合や筆圧から、

書家の感情や深層心理、その流れや乱れ、といったような、

見えないものを作品から感じ取ることができます。

(僕は決してその道のプロではないので、それを試みるというレベルですが)

下から上へ、というシンプルなルールに則って積み上げられた石積みは、

書道と同じく、ある種のプロセスが可視化された造形でもあります。



石積みの風景と対峙した時、

僕はいつも、その過程と、過程を担った名も無き人々について考えます。

この位置に、この石を積んだ人間が、かつて確かに存在していた。

積み上げられた石の一つひとつに、人々が生きた証を見出すことができます。

石積みの風景と対峙した時、

僕はいつも、背筋が伸びる思いがします。

自分も何か、生きた証を残せるだろうか。

その上に、誰かがまた、積み上げてくれるだろうか。

そしてそれらが、誰かの役に立つだろうか。

少々大袈裟かもしれませんが、

これは研究者としての、プランナーとしての、僕の使命でもあります。


おわりに


切実な社会本能に基づいた、

物理法則と物質形態との駆け引きによる、

一人ひとりの小さなプロセスの集積。

これが、石積みというメディアに収められたメッセージです。

集落のあらゆる物事の背景に存在していたであろう、かつてのレギュレーションを、

実はとてもあからさまなかたちで、石積みの風景は今もなお僕らに伝えようとしています。

プランナーは、物理空間として地域を捉えると同時に、

社会空間としての地域をも把握する必要があります。

一方でそれらを根底から支えている事象を、

「情報空間としての地域」から見出そうとする姿勢を怠ってはならないと思います。

例えば井戸、例えば畦道、小屋、水路。

地域の色々な媒体が、僕たちの応答を待っています。

タテマエもまた、そこに見えない石を積み上げていきたいですね。




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